春の大風が吹き荒れています。
群馬自宅、浅い春、見事に咲き切った白梅も紅梅も、風に煽られ・・・ましろに、くれないに、花吹雪・・・衣を脱ぎ捨て、次の季節へと移り行きます。
そして、いつになく勢い深い今春、桜は、もう盛りの時を迎えたとか・・・
約一年の沈黙の時が流れ行きました。季節は、再び、春を迎えております。
長いご無沙汰を致してしまいましたが、みなさま、お健やかにお過ごしでしょうか?
一年といえば、人には、色々な事が経巡るものでしょうが、わたくしの身辺では、大きくものごとが動いたようでもあり、限りなく静かに粛々と時が流れていたようでもあり・・・
只々、群馬の庭の木々草々花々を眺め続けていた日々だったようにも思われます。
長く厳しかった冬の終わり、春告げ花は、スノードロップの白い小さな光でした。
実は、昨秋、庭の片隅に、いくつかの球根を植えたのです。
やがて、ムスカリ、トリテリアなどが咲く事でしょう・・・大好きな白、そして青の花たちを心待ちにしております。
そして、もともと、毎春目を楽しませてくれていた福寿草の黄色い花も、馬酔花(あせび)の薄紅の鈴なりの花々も終り、梅が香漂い、いよいよ四月を目前に、雪柳が、開き始めております。
そうそう、忘れてならないのは、金木犀の根元に、ひっそりと蕾を開いたカタクリの桃色の花とまだら模様の美しい葉・・・
3月17日、鶯、第一声・・・とろんとまどろむような甘い静けさの中、まだ初々しく、大気にころがりこむようにまろい・・ほうほけきょ・・の鳴き声に、思わず歓声をあげてしまいそうになりました・・・笑。(大声をあげては、せっかくの鶯が逃げてしまいます・・)
眼に、耳に、肌に・・・一筋の時の流れの中、やっと春がやって参りましたね・・
この冬の寒さは、日本のみならず、ヨーロッパも厳しく、ドイツの地では、まだまだ雪の残る日々のようですが、わたくしは、ずっと、陽光燦々と輝く群馬で過ごしておりましたので、厳冬ながらも、「闘う」冬というよりは、太陽の光を「拝む」日々でした。
一年に及ぶ期間を、ずっと日本で過ごすのは17,8年ぶりでしょうか?
多くの人たちにとっては当然の、祖国に住み続けるということの有難味のようなものを、改めて感じています。そして、一つ所にいられることで、日独往復の中、環境の力や時間に追われているのとは異なり、自分自身についての思いが、「柔らかい剣」のように心の髄に迫るような気がするのです。
どなたの一年とも同じように、わたくしにも、色々な出来事があり、色々な思いがありました。
余り、以前のようには、沢山の方々とお会いすることはなかったのですが、昨年の初夏には、長男が、秋には、長女がそれぞれ日本を訪れ、共に各地を旅することが出来たのは、嬉しい事の一つでした。近くは、伊香保、遠くは、奈良京都、大分と久々の日本の旅でした。
日本の水の柔らかさは極上で、とろんと肌にやさしいまろやかさを伊香保や大分の温泉で、改めて感じましたが、毎日自宅で、シャワーだけでなく、湯船にゆっくりと浸かる事が出来る贅沢はありがたく、魚貝などの食に到っては、言わずもがなのことながら、ドイツでは、値段が高く、わたくしには、週一回ほどの贅沢品でしたお豆腐や納豆といったありふれた質素な食材が、毎日でもいただける幸せは、何よりの事だと感じます。質素を旨とする日本人のかつての生活ぶりを、これからも当たり前に続けていきたいものです。
今年の秋から、日本へ留学予定の長女との昨秋の旅は、日本の古都奈良、京都から始まりました。
九月、残暑厳しい奈良法隆寺を皮きりに、何十年ぶりで訪れたわたくしの感慨と、長女の初めての驚きと、東西比較の言葉のやりとりは、わたくしには再発見であり、東西文化を見つめなおす良い機会となりました。
法隆寺が世界最古の木造建築であり、その源流にはるか西、ギリシャの乾いた石造建築が影響を及ぼしているかもしれないことなど、今更ながら、ロードス島の白亜の石造物に圧倒され、めまいを覚えた十年余り前のことや、一昨年のベルリンペルガモン博物館での思いなど・・・長い人類の歴史の流れの中で、人と風土と厚い層をなす「時」の不思議は、しかし、詰まる所、「我」に帰着することなのではなかろうかと・・・説明のつかない疑問をわたくしに投げかけます。
わたくしの肉体は、「魂の器」、最近、度々わたくしの脳裏に浮かぶ言葉です。
長女との旅の終着点は、大分でした。ちょうど開催の運びとなった「竹工芸の継承・革新」展(於 大分県立芸術会館)初日オープニングレセプションに参列が叶い、初めての竹の里、大分訪問は、わたくしにも長女にも有難いことでした。早川尚古齋・田辺竹雲齋・生野祥雲齋・飯塚琅玕齋のそれぞれの名品を中心として、現代の作家の作品も展示された、大変に充実した内容で、わたくしには勿論のことですが、長女にとってまとまった曽祖父琅玕齋の作品を始め、竹工芸の粋を目にする事が、今後の日本学の研鑽にも少なからず助けとなるであろうと思いました。
実は、この一年、大分訪問の時を除いては、多くの時間を「竹の世界」への思索からは、ほとんど外れたような生活をしておりました。
2011年3月11日の東日本大震災は、わたくしの人生にとって、当然のことながら、とても大きな意味を持っていたように思います。
東北の惨状を、はるか遠くドイツの地から、只々、恐れと共に眺めているしかなかったこと・・・祖国が壊滅的な惨状に成っている姿。
チェルノブイリを肌で感じた多くの海外在住の日本人は、帰る故郷を失うのではないかとまで思っていたと申し上げても過言ではありません。
あれから二年、東北はもとより、福島は今後何世紀にも渡り、人類に語り継がれていくに違いない歴史の焦点と成って行くことでしょう。
自然の抗いようのない力や、人類の誤算ともいえる原発事故の前に、自分自身の行く末を思い、まるで、ドイツにあることが、疎開生活のように心細く感じたものです。
それでも、いつか故郷に帰りたい、ふるさとの風、ふるさとの水、光・・・3月11日まで、見えていた世界が、すっかり変わってしまい、その直前まで、「竹と古事記の神々」に思いを馳せ、「竹工芸の源流」について、知りたい、考えたいと願っていた自分自身との乖離が始まっていたと、今は感じております。
そのような思いの中、一昨年の父小玕齋の回顧展を夢中な思い、今振り返れば、一心不乱に無事終わらせ、昨年3月のちょうど今頃は、パリ、ギャラリー民芸での展覧会を訪れました。
春のパリには、東の果て、小さな日本列島の福島であえぎ続ける人々が居ることなど、まるで嘘のように、のどかな時間が流れていたことが、不思議でした。ヨーロッパ大陸にぽつねんと在るわたくしという「魂の器」を、心の眼は、はるか上方、宇宙の果てから見下ろして、永遠の闇と光の中で、沈思黙考を促しておりました。
その「魂の器」は、今、地上の日本列島、群馬の地に回帰して、二年前の春よりは、漸く柔らかさを取り戻した心の眼を、何事もなかったかのように咲き始めているいつも通りの草花や木々、小鳥たちの鳴き声に向け始めております。いえ、向かいなおしているのかもしれません?
日本は元より、世界各地の「ものづくり」の世界は、数々ありますが、それぞれの素材に真正面から立ち向かい、職人と呼ばれる人々や、近代に入っては、日本美術工芸というある意味では、特殊な世界の中、時代の流れと共にあらゆる試みが為されております。
また、東日本大震災以降は、若い人中心に柔軟な「ものづくりプロジェクト」や、一般の主婦の方々などの「ものづくり」へ肩の力の抜けた動きなども見られます。
人は、生きる中で、数々の事を成して行きますが、何故、土を、石を、木を、竹を、・・あらゆる自然の素材を使い、「ものづくり」をするのでしょう?
昨秋、憂える心に乱されて、いたずらに時間が過ぎゆくだけにとうとう耐えきれず、手を動かそう、考えばかりが先行して頭でっかちのいつもの癖を止め、心のまま、「編む」ことを始めました。残念ながら竹ではなく、柔らかく自由になる糸の編み中心ですが・・・笑。
「編む」ことが、心を落ち着ける助けになるという事が、改めてわかりました。
そもそものわたくしの仕事でしたジュエリーへ、「編み」や、或いは竹も結びつくようになってくれれば・・・まだまだ少なくとも、数年はかかるでしょうが、試みている最中です。
しばらく離れておりました「竹の世界」の思索も、続けて行かれそうです。何が起きても、心の地下水脈のように竹への思いは枯れません。
来月には、とちぎ蔵の街美術館で、展覧会の開催も予定されております。
「ランディコレクション 近代竹工芸の誕生 二代鳳齋と琅玕齋を中心に」
4月13日〜6月2日 於 とちぎ蔵の街美術館
http://kuramuseum.com/exhibition/next/
当たり前のことを、今、もう一度問い直そう・・・そんな思いでおります。
どうぞ、みなさま、お健やかに春を花を楽しまれますよう、お祈り申し上げます。