北ドイツは、復活祭の季節になりました。帰独直後は、暖かい気候でしたが、寒さがぶり返し、今は暖炉の温もりも恋しいような肌寒さです。薪の穏やかな温もりが、まだまだありがたい、早春の日々です。
「前後裁断、薪はもとの薪にあらず・・・」
ぱちぱちと燃える薪の炎を見ていて、ふと思い出しました。
私が苦しい時、あるいは、喜びの内にある時、脳裏に浮かぶ言葉です。
今しかない・・・と思う事、刹那的にではなく、今を生きるしか出来ないのが、人間であるのだろうと思っています。
上記の疎覚え(うろおぼえ)の一節の出典を改めて調べてみました。
「たき木はいとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。
しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後あ
りといえども、前後裁断せり。」
道元 現成公案
私が、美に触れる時、竹工芸に限らず、あらゆる美しいものたちに出会う時、或いは、ものに限らず、人も、景色も、私が感ずる事の出来るすべては、その時、感じた一瞬に、実は終っているのかもしれません?
そんな意味からも、あまりに遅ればせの、昨年11月に開催された「飯塚小玕齋回顧展」のご報告は、私の中では、はるか過去の出来事として、お話しするしかできません。
また、近い過去、3月22日より4月7日まで開催中でした「竹籠展」、フランス、パリ、「ギャラリー民芸」へ参りました事は、まだ、鮮明に私の中に在る記憶ではあります。
そこで、ドイツの時間と空気の中で、今回は、「日本とパリで展示された竹工芸」というコントラストのはっきりとした二つの展示から導き出された、私の「今」の思いをお話してみたいと思います。
厳密には、片や、群馬県太田市の広いホールで、父小玕齋と飯塚家の人々とそのお弟子さん、松本破風さん、大木淑恵さんの作品のみの展示であり、片や、パリ、ヴィスコンティ通り画廊街の個人ギャラリーの広くない空間に、50点以上の日本の古今の竹工芸作品、無銘の物も含めての展示ですので、比較の出来ない二つの展覧会なのですが、先ず、共通して申せます事は、どちらの展覧会にも、お花が活けられた花籠があったということです。
残念ながら、今日、正規の美術館では、花籠本来の「用の美」、「花を活ける」という事は、不可能となっております。それは、重要な美術品に花を活けることで、保管上、支障を来たす可能性が考えられるからです。(しかし、かつては有名美術館の幾つかで、花が入った琅玕齋が観られたといいます・・)
お花が加わることで、無言の花籠は、見る者に静かに何かを語り始めます。そして、花の加わった竹籠の言葉は、おそらく言語の壁を越えて、人の心を打つのだろうと感じました。
また、それぞれの花籠をじっと見つめ、活け手は、花を選ぶわけですが、花が籠を選ぶのか、籠が花を選ぶのか、或いは、(花と籠の両者に選ばれたともいえる)活け手は、二種の自然物の仲介者として、活ける瞬間は、自己を捨てた時にこそ、花も籠も、生きるのかもしれない?
そんな事を、感じました。
余談ですが、パリのギャラリーオーナー夫人に伺ったお話ですが、いつからかはわかりませんが、パリのギャラリーの間では、「花を入れた花器は売れない」というジンクスがあるそうで、パリの空気の中で花の入った小玕齋や琅玕齋の花籃(注・飯塚家では、籠ではなく籃の字を用いる)を観たかった私の願いは、残念ながら聞き入れられませんでした。
ただ、今回のパリの展示は、パリでは初めてのまとまった竹工芸の展覧会という事で、初日はもちろんの事、連日たくさんのパリジェンヌ、パリジャンで賑わっていました。
また、同時開催の「辻村史朗陶芸展」は、オーナーのフィリップさんの工夫を凝らした展示によって、地下の展示空間が、まるで林の中の湿度をもった空間のようになって、一つ一つの器たちのおしゃべりが聞こえてくるような、しゃれた展示となり、竹と土と、不思議なハーモニーを醸し出していました。
ゆるやかな、おおらかな展示方法は、日本では、見たことのない試みだったと思います。
歴史ある西洋美学のメッカ、パリで、これからどのように日本の竹工芸が位置付けられて行くか、とても興味深く思っております。
一方、昨年11月の回顧展は、合計23点の出品作を、二代鳳齋から、小玕齋、琅玕齋、お弟子の松本破風さん、大木淑恵さんまで限定して、飯塚家の技術と精神が、どのように受け継がれ、発展しているかをわかっていただけるような作品レイアウトに配慮しました。また、父没後7年の回顧展でしたので、父の工房の再現、材料、編見本をはじめ、父美校時代の絵画、スケッチ、書など、多岐にわたる展示を同時に行いましたので、太田市の職員の方々のご助力で、正規の美術館に並ぶ位の展示になるような、数々の工夫が必要だったように思います。
また、「父の宿題、祖父の玉手箱」という演題で、1時間ほどの講演会をさせて頂きましたが、130名を越える方々が、熱心に私の拙い話に聞き入って頂き、ほんとうにありがたく感じました。
同時に、会期中、2時間ほどの長い時間を取り、松本破風さんが、材料作りから、花籃の制作過程を通しで実演をされました。やはり、会場一杯の方々が、固唾を飲むように、一心に御覧下さり、中には小学生のお子さんも居られ、最後には、質問までされた事は、驚きと同時に、有難く嬉しく感じたのです。
やはり、実演や講演など、一般の方々に展示以外の試みを行うことは、大きな意味のあることだと、改めて確認したような気が致します。

さて、パリで、太田市で、私の耳に入ってきた「人々のどよめき」は、不思議に同じような質のものだったように、今、私は感じております。
そして、不思議なものを一心に食い入るように見つめている人々の視線、眼の色こそ違えど、やはり、同じように強い何かを感じました。
パリでは、当然異国の工芸品、「竹工芸」ですが、伝統的なパニエという柳を主な材料とした籠の世界があります。ドイツも同じように、コルブといって、やはり柳や籐を素材とした籠の世界があります。日本には、もちろん竹細工として、古くから笊(ざる)や箕(み)、魚籠(びく)など、生活雑器の多種多様な竹の世界があります。それぞれの国(中国や東南アジアも含めて)で、生活と密着した籠の文化があるわけですが、何故、日本だけに、特殊な「竹工芸」(注・他の漆や陶器、木工などの工芸の分野でも、美術工芸というよばれ方があり、生活雑器とは区別されている)が、あるのでしょうか?
また、日本の「竹工芸」は、世界で唯一「近代美術工芸」として存続している編組の世界でもあります。
実は、この事が、西洋の人々には、わかりづらい所でもあるのです。俗にクラフト(注・大衆工芸ともいう、但し語源のCraft《英》は、手仕事による製作全般、手工業の意味)とよばれる日常の器などの世界と、日本でいうところの美術工芸との境界線が鮮明に理解出来ないのだと思います。では、翻って日本はどうかというと、やはり一般の人たちにとって、日常雑器と工芸品、若しくは美術工芸品との違いは、やはりはっきりとはわかりづらいことのように、私は感じるのです。
ですから、パリと太田市と、同じどよめき、同じ視線を、私が感じたと言えるのかもしれません?
この事は、私が幼い頃から、父の職業について問われた時に、決まって答えていた、
「竹工芸作家です。でも竹細工とは違います。」
という言葉に象徴されるのですが、私には、なかなかこの問題を的確な言葉で説明する事は難しいことです。
卑近な例で申しますなら、価格が生活雑器と美術工芸では、格段に違いますので、皮肉なことに、値段や、作家の知名度などによって判断をする事が、一般の人々にとっては、いちばんわかりやすいという事になるようです。(残念ながら、現在の日本では、工芸に限らず、他の美術分野でも価格や知名度が「美の尺度」となっている現状は否めません。)
しかし、やはり、「見る」ことなのです。パリでの人々の感想も、太田での人々の言葉も、「やはり、小玕齋も琅玕齋も何かが違いますね。」といった声が多かったように思います。
もちろん、パリの人々にとっては、まったく未知の分野を目にした驚きであり、日本の人々にとっては、笊などの既知の物とは、何かが違う・・といった底辺の意識は多少異なりますけれど・・・
「どうやらただの籠の世界では、なさそうだ・・」
という意味では、同じ事なのではないでしょうか?
日本の工芸は、長い日本文化の中で醸成された、他の国と比べて、特殊な一面を持っております。日本の工芸や、文学、書、芸能などについて、考え続けて来た中で、気づいた事は、そのまま日本人や日本文化への畏敬の念へと、私の心の中で育ってまいりました。
次回は、私の中で、育ってきた色々な思いについて、お話したいと思います。
日本は、桜満開のおだやかな日々がやっと訪れ始めたようですね?
昨年の桜とは違って、お一人、お一人に芽生えた、色々な心模様がおありだろうと想像しております。
私は、今しばし、北ドイツの肌寒さの中、気持ちだけでも日本に帰ったかのように、昨年からの「それでも咲き続けている」花たちを、目を閉じ、静かに想い続けております・・・
世の中を 思えばなべて 散る花の わが身をさても いづちかもせむ
西行

11月開催「飯塚小琅玕齋」図録
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