2009年09月12日

ヨーロッパの夏

 あまりに陽光がまぶしすぎて、辛くなります。
 ヨーロッパの夏です。

 日本から帰独すると、空港に19時頃到着します。北独、夏時間の19時は、日本の午後3時から4時くらいの明るさでしょうか? 7月、日は長く、夜9時半、10時頃まで、明るいのです。
 空港に降り立ち、まず感じるのは、さらっと、すべるような空気の軽さと、風景の細部まで、くっきりと見通せる開放感でしょうか? 思わず、深いため息をついてしまいます。十数時間前まで、重くまとわりつく、湿度の高い日本の空気を背負っていた身体に、「陽光の乱舞」と「物の存在感」が攻め寄せてきます。

 ヨーロッパ大陸に、日本人が一人、ぽつねんと立ちすくんでいます。
今まで「日本の湿度」に守られていた自分が、いきなり丸裸にされたような不安感・・・

 竹は主に、アジア、日本などの湿度の高い環境に生息している植物です。そして、竹工芸も、瑞々しい日本の風土が育てたといっても過言ではないかもしれません。
 もともとは、煎茶の隆盛に伴い、室町時代に中国からもたらされた唐物籠に端を発しているのが、現在の竹工芸ですが、歴史を遡れば、縄文時代の遺跡に竹籠の部分が発掘されており、日本人と竹とが、工芸作品に留まらず、密接なつながりを持っていたことは、知られています。現代の日本人の生活の中で、竹の雑器の出番は少なくなってしまいましたが、私たち日本人には、竹はほんとうに身近なものでした。

そして、私はというと、この世に生まれ落ちた時から、竹はいつもそばにありました。あまりに、そばにありすぎた存在ともいえるのでしょうか?
 子供の頃、人から父の仕事について質問されると、もじもじしながら、「竹工芸です。でも竹細工とは違うの・・」幼い頃から、今日まで、ずっと折りある毎に、このことを言い続けてきたような気がします。

 ひるがえって、ここヨーロッパの地では、果たして日本の竹工芸がどのように見られているでしょうか?

 今年3月、私はベルギー、オランダ国境に近いアーヘンという町で、「竹工芸について」講演をさせて頂きました。
ちなみに、アーヘンにはユネスコ世界遺産指定のアーヘン大聖堂があり、ローマ帝国時代から温泉保養地として発展した町で、落ち着いた美しい町です。
聴衆は、独日協会の20名余りのドイツ人の方々で日本旅行の経験者ばかりで、皆さん、4月に訪日を控えていらっしゃいました。
 どんなお話をすれば皆さんが興味を持って聞いて下さるか、ずいぶん思案しましたが、そもそもこの講演会の機会を作って下さったシュパイデル教授とのご縁が、「ドイツ人建築家ブルーノ・タウトと祖父琅かん齋の交遊」をテーマとしてでしたので、飯塚家の三代に渡るエピソードなどを中心にお話させて頂きました。
 でも、やはり何よりも、実物を皆さんご覧になりたい、それは当然のこと・・・
お話をしながら、スクリーンに飯塚三代の代表的な作品群の写真を映しましたが・・やはり、写真だけでは、竹工芸のすばらしさは伝えきれません。

 ドイツの私の自宅に、たった一点置いてある父小かん齋の「竹小筥」を大事にかばんに忍ばせ、持参し、講演会終了後、何冊かの作品集と共にお見せました。
この作品は、7センチ角、高さ5センチほど網代編の漆仕上げの作品で、父の作品の中では、最小の可愛らしいものです。

No2_photo.jpg

「何て、繊細で美しい!!! これが、竹で出来ているの?」
「これは、どう使うものなのでしょうか?」
「このような細かい編み方は、どのようにして出来るのでしょう?」

物珍しい異国の竹工芸・・・
彼らも、竹で作られた籠などを、全く目にしたことがないわけではありません。
東南アジアで作られた民芸の品々の中には、民具として素朴な味わいを持つ物もあります。それらは、現代のアジアブームと共に、ドイツ人のインテリアとして使われる事も、多々あります。
 ここで、またしても私の頭をよぎるのは、「竹工芸は、竹細工とは違うの。」ということでした。

 アーヘンの早春の夕べ、空気は少しゆるみ、とっぷりと日は暮れているのに、私は、何故か日本の東雲のあわあわとした薄明かりを思い、ふーっとため息をつくのでした。
 
 次回は、ドイツ人建築家、ブルーノ・タウトが、竹工芸にどんな思いを抱いていたか、そして、現代は・・・そんなお話をと思っております。
posted by mari at 00:00 | 2009年