2010年05月27日

新緑の季節

 群馬の我家の庭を前に、この原稿を書き始めました。
この時季の匂うが如き新緑の乱舞に、しばし、圧倒されております。
いったい緑色にいくつの色があるのだろうと思うくらいに、微妙に、黄色がかった、白を混じた、赤みを帯びた…緑の狂想曲、数限りない造化のみわざとでも言えばよいのでしょうか?

 湿度の高い日本の気候ですが、この時季に限った、束の間の爽やかさは格別で、北ドイツの初夏に近い空気を感じます。
肌をすべるような芳しい風、遠く近く響きあう鳥のさえずり、重なるように鶯の谷渡りのソロ、そして、何より、透き通るようにかろみを持って、身体の隅々に染み込むような陽光…気づくと、わが身も新緑に染まってしまっているようにさえ思います。
 
 日本帰国直前、4月下旬、北ドイツにも漸く眩い(まばゆい)日々が到来しておりました。空気の乾き具合は、日本の5月の頃とほとんど変わりはないのですが、「眩」の意そのものの如く、目がくらくらして見えないほど、陽光の強さは、我が身を圧倒致します。冬の寒さと昏さが、現存在を突き付ける事と違う形で、ヨーロッパの陽光は、しばしば私を不安にするのです。

 今、私は、我家の庭の新緑を目の前にして、深い安堵感を感じております。しかし、それは、年齢に伴うこちら側の問題であるのかもしれません?
十代の頃、圧倒される新緑のみなぎる力と、競い合うようなわが身のエネルギーに感じ入った記憶がありますが、あれから数十年、ふと「新緑の毒素」という高村光太郎の詩を思い出しました。


 新緑の毒素
                    高村光太郎

  青くさき新緑の毒素は世に満てり
  野といはず山といはず
  街(ちまた)の垣根、路傍の草叢
  置き忘れたる卓上の石の如き覇王樹(さぼてん)に至るまで
  今は神経に動乱を起して
  ひそかに廻る生の脈搏
  狂おしき命の力
  止みがたき機能の覚醒に驚きつつ
  溢れ出づる新緑を
  その口より吐き出したり
     (後略)

 鮮やかな緑は、まるで、こちらの「生命力を測る物差し」のようでもあります。

 何人の人生にも、一度はある、「新緑の季節」。
祖父琅玕齋は、竹工芸を藝術の一分野として確立させるべく決意し、琅玕齋友石の雅号を掲げ、青雲の志を持って上京しましたのが、二十歳のころ。父小玕齋は、いまだ油絵画家になるべく東京美術学校で藤島武二先生の薫陶の元にあった二十代前半でした。

 芸術、とりわけ工芸の分野では、四五十代を「若手」という場合がございます。それは、工芸分野においては、特に技術の習熟が極めて重要と見做される為かもしれません。
「芸術家の一生では、感動する心を持ち続ける事が肝要」とよく申しておりました父が、私によく話してくれたことの一つに、木彫家の平櫛田中先生のエピソードがございます。田中先生百歳の時、30年分の材料を買い込まれ、「男盛りは百から百から。わしもこれからこれから。」とおっしゃったというのは、有名なお話です。

 さて、現在の竹工芸の分野では、三十代から、大御所の八十代の諸先生方まで、それぞれご活躍されております。その中でも三十代の若手、父小玕齋の最後の弟子にあたるのは、女性の作家です。しかし、女性竹工芸家の数は極めて少なく、父が所属しておりました日本工芸会においても、正会員は、いまだ3名のみ、準会員、出品者を含めても10名ほどということです。
 大木淑恵さんは、父最晩年に我家の門をたたかれ、十年ほど、竹工芸の道を邁進されています。素直で、真摯な人となりながら、内に強さを秘め、まさに「竹工芸家の新緑の季節」真只中にあります。

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 作風は、のびやか、流麗、父の常々の教えをしっかりと護られ、「作品の格式」を外さないよう、日々努力されております。
 作家には、色々タイプがあって、大木さんの場合は、控え目で抑制の利いたお人柄で、どちらかというと寡黙な女性です。しかし、作品では、静かに熱いものを語ろうとしているように感ぜられます。作家の感受性は、さまざまな表われ方をいたしますが、何れにしても、竹工芸家は、心の底の「何か」を、「竹の力」を借りて表現しているのですね。

 5月、竹は、触れれば指が染まってしまいそうな琅かん色を湛え、その身を上へ上へ、天に向かって伸びて行きます。
私は、何れの齢(よわい)にあろうとも、毎年巡ってくる新緑の瑞々しさに、我が身を測りながら、少しでも高みへ近づいて行きたいものと改めて思うきょうこの頃です。

来月は、いよいよ梅雨到来、日本の「水の文化」の源泉の季節、雨に纏わるお話ができればと考えております。
posted by mari at 02:49 | 2010年