2010年08月15日

精霊

 今夏の暑さは、記録的な酷暑で、日本の皆さまには日々お辛い事とお察し申し上げます。北ドイツも7月下旬頃まで、35℃を越え、時に38℃以上の日もありましたが、漸う暑さの峠を過ぎ、8月を迎え、やっといつもの爽やかな高原のような毎日になって参りました。まだまだロシアなどでは、連日の猛暑が続き、多くの被害が出ている模様で、地球全体の悲鳴を聞くような思いも致します。

 日本では、冷房が欠かせない毎日でしょうが、日本で当たり前の冷房機器が、こちらでは一般の住宅には備わっておりませんので、35℃を越える暑さともなりますと、いくら湿度が低くても、ちょうど熱波のような具合になり、辛うじて扇風機で涼をとるしかありません。

 私が幼い頃の東京の夏は、やはり扇風機が主流でしたが、近くの根津神社や、上野不忍池の縁日などに出かける途中の下町では、縁台で浴衣姿に団扇の夕涼みが、此処彼処に見られる時代でした。打ち水がされ、夕闇せまる町角では、花火をする子供たちのざわめきと、日が落ちて、幾分暑さがやわらぎ、ほっとする街並みの背景の、近くには風鈴の音色、遠くには蜩の「カナカナ・・」が、それぞれ相俟って、真夏の夕べの忘れられない情景です。

 日がとっぷりと暮れた神社の境内、縁日の屋台は、そこここの発電機の音と、裸電球の少し熱い、みかん色の明かりの連なりが、老いも若きもいざない、幼い私は、目を輝かせ、あちらの金魚すくい、わた菓子、カルメ焼きやベッコウ飴、こちらの輪投げなど、心を躍らせて、ざわざわとした人ごみに紛れながら、父の手をしっかりと握り、あれが見たい、これが欲しいと心躍らせたものでした。

 しかし、この夏の異常な暑さは、おそらくそうした日本人に当然だった季節の余情のようなものを斥ける、狂った何かを感じさせるような気も致します。

 また、北ドイツでは、私が住み始めた20年ほど前の夏は、透明なすっきりとした陽光と、木陰に入れば、すっと、たちまち汗が引いていく、さらりとした心地よい気候でしたが、今回の猛暑は、日陰でじっとしていても、じわっと汗が滲み、木陰の読書などゆっくりと出来ない、今までにない経験を致しました。こちらでは、庭先や、ベランダなどで、朝食を取ったり、夕刻など、バーベキューを致しますが、7月中はさすがに控える家庭が多かったようです。

100815.jpg 気候風土が、その国の文化や人の心を育てて行くがゆえに、おもむきのある複雑な四季の中で、日本の柔らかい文化の流れが作られてきたのでしょうが、これから、地球規模で気候変動が起こってくるとするなら、必然的に日本人の気質や、文化に様々な影響が及んでくるかもしれません。また、地球規模の異変は、ロシアの火災をはじめ、パキスタンや中国,ポーランド(国境近くのドイツでも)の水害、南米の冬ながら時ならぬ積雪と厳冬など、各地に未曾有の災害をもたらしております。文明の発達により、束の間、人間が忘れ去っていた「人間の無力さ」というものを思わずにはいられません。

 夏の暑さも、昔は日本人の知恵で、美しい凌ぎ方が出来たのでしょうが、これだけ異常な暑さに見舞われるとなると、すでに団扇の優しい風や、風鈴の音色など、数々の細やかな方法は、多くの都会の日本人の日常では、悠長な昔日の風景の中に埋没してしまって、ただでさえ即物的な方向に向かってしまっている生活が、どんどん殺伐としたものに変わっていくのでは、と危惧されるのは、考えすぎでしょうか?

 ただ、「方丈記」などを読みますと、鎌倉時代初期の日本も、天変地異や、人身の憂き世は世の常で、文中に漂う鴨長明の厭世観も無理からぬことかとも思われます。時を経て今、経済の不安と共に、人の力を超えた自然のおおいなる教えに耳を傾けよという「天の声」なのかもしれません。
そして、無力に打ちひしがれる人心には、それぞれの時代時代、それぞれの風土に、あらゆる宗教が生まれ、人々の心に安寧をもたらしたのでしょう。日本においては、仏教が、遠く支那、朝鮮からもたらされ、時代を経て、その宗旨、形態を変化させて来たことは、周知の事実です。


 さて、日本は盂蘭盆会の季節を迎え、それぞれの皆さまも故郷へ帰られ、ご家族揃っての行事に臨まれた方が多いかと存じます。各地方での風習の違いで、ご先祖が帰っていらっしゃるお迎えの仕方は異なるようですが、私の小さい頃の東京では、お盆の入りの前にお墓を浄め、入りの日の夕刻は、各家の門口でお迎え火を焙烙(ほうろく)におがらを燃やし、門戸を開き、お仏壇へお通り頂くように致しました。幼い頃より、お迎え火、また送り火のしきたりは、当然の事として、毎年の夏の行事でした。火を熾す時の手順やら、炎が消えかかった最後には、ミソハギに水を浸し、静かに火を消す作法など、毎年、目に致しておりましたので、何をどう教わるでもありませんでしたけれど、この時期、日本に居ります時には、自然と致しております。 清められた仏壇には、我が家では、必ず蓮の花を活けておりましたが、よくある茄子や胡瓜の、牛、馬などはなかったようです。東京千駄木にあった祖父設計の家には、二階の茶室の隣りが、三畳ほどの仏間で、お盆中には、お坊さまが読経におみえになって、読経の後のお客間でのお話には、父の横に座って、かしこまってお坊様の法話をうかがっていたように覚えております。何をどう話されたかは記憶が在りませんが、お盆期間中には、祖父をはじめ、お顔を知らないご先祖様が我が家に滞在していらっしゃるということが、不思議なような、当然のような、幼心の思い出でございます。

 今、お盆の時期には、日本に居られないことが多うございますので、私としては、心苦しい思いも致します。閉め切られた群馬の家の仏壇を思い、ただでさえ、遠く日本を離れ、時に心細くもあり、懐かしくもあり、色々な思いを抱きますが、この時期は、我が家の宗旨は浄土宗ですが、仏様は何千里、何万里、どれだけ遠いところでも、何箇所でもたちまちにおみえになるという事をよいことに、こちらへ来て頂き、形ばかりの仏前にお線香を上げて、お許し頂くといったところなのです。

 しかし、宗教というものは、不思議なもので、ヨーロッパの地では、キリスト教が、また、その他の国々では、数々のそれぞれの風土に培われた宗教が、人々の心を支えているわけで、普段の日々では、意識致しませんが、人々はやはり、神や仏といった人知を超えた何かを頼りとしているのだと思います。 

 戦前、祖父琅かん齋が、東京根岸の家の工房で仕事中の事です。その頃は、弟子達は階下の仕事場、祖父は二階と別れた工房だったそうで、ある時、二階から、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・」とお念仏の声がするので、一人の気の利いた弟子が、お線香を用意して、二階の師の所へ、持って上がったそうなのですが、襖を開けた途端に、その場の張り詰めた空気と、琅かん齋の余りに厳しい背中を見て、一歩も工房内に入って行けなかったという話を、父からよく聞かされておりました。実の所は、祖父は丁度、その仕事の難所に入っており、一目一目を息を殺すほどの集中をしていたそうで、思わず、念仏を唱えずにはおられなかったという事なのです。

 祖父も、日本の古より続く工人の末席を汚しているわけですが、日本の工芸、とりわけ竹工芸は、竹という自然物を扱う仕事ですので、己を空しくして、竹の導きに全てを任せて、禅などで言われる「無心」や「放下(ほうげ)」の境地が必至であったのだと思われます。また、もう一歩踏み込んで、申し上げる事を許して頂くならば、日本の工芸のみならず、古からの名品と称される作品をものした、有名無銘の作り手達は、きっと、それぞれ、己を離れた境地をこそ抱きつつ、創作をしていたのではないでしょうか? 

また、物づくりをなりわいとしない普通の人々の方便(たつき)の中にも、真摯に生きる事を求めて行く一瞬一瞬には、必ず我を忘れ、一心に成っている時があって、そのように生かされている私たちの支えに感謝するための一齣として、ご先祖さまをお迎えする盂蘭盆会のような機会が与えられているのかもしれない、そんな事を思います。 

 今日まで、一見、人間の理の勝ったように見受けられる現世にあって、私たちが実は、理では計りきれない「何か」によって生かされていることを知る機会は、なかなかありません。日本の山川草木に宿る「何か」、日本に限らず、地球を、そして宇宙をつかさどる「大いなる力」を、精霊の行き交いの儀式である盂蘭盆会のときに思ってみることも、何がしかの意味を持つのではないかと、日本から遠く離れたドイツの地で、つらつら思い巡らす夕べでございます。

 まだまだ残暑厳しい毎日とは存じますが、皆さまどうぞ呉々もご自愛くださいませ。



  「花籠展」 監修:斎藤正光
  2010.8.21 〜 8.29
  於 銀座一穂堂サロン
    月・休廊 11:00〜19:00
    電話:03−5159−0599
    http://www.planup.co.jp/ginza_j.html


posted by mari at 19:48 | 2010年