2011年07月29日

ほんとうの日本

 夢を見ました。

 金色に燃える光の玉が遠い空から、私の頭上へ向け、まっすぐに飛んで来るのです。
見上げると、それは金色の鳳凰でした。きらきらと金の粉をまくように、長い尾と翼の優美な姿に心を奪われるような思いがしました。
空はどこまでも天色(あまいろ)の静けさをたたえ、時は止まったかのように、音なき音色に満ち満ちていました。

 あの夢は、何だったのでしょう?

 数週間前に見た夢ですのに、その光景は薄れることなく、目をつぶれば、まざまざと思い出されます。

 北ドイツは、ここ十日以上、涼しいというよりも肌寒い毎日が続いていました。嵐のような強風に時折か細い雨が舞い散り、心もとなくなるような時ばかりが続きました・・・

 やっと、今夕は、曇天が一休み、肌寒さはそのままに、夢に出てきたのと同じ天色の空が、今、書斎の右手の大きな窓の向こうに広がっています。時刻は、もう8時を回りました。左手、私の斜め後ろの小窓には、日没の透明な夕日がまるで絹糸の束のように、幾重にも差し込んでいます。光は少しずつ薄らいで行きながら、赤味を増し、まだまだ2時間ほどは続くのです・・・

 幼い頃から、空を見上げる事が好きでした。

 東京千駄木の旧宅の子供部屋の窓から見上げた空は、ここ北ドイツの大地から見上げる空よりは、ずっと小さかったような気がします。
8歳頃の早春の昼間、空を見上げて、何故か「あそこに帰るんだなぁ・・」と思った事を鮮明に記憶しています。ゆったりとしてやわらかい空気は、懐かしい日本の香りがしていました。

 震災後、ますます空を見上げる回数が増えました。

 あの空もこの空も、そのずっとずっとはるか向こうには、無限の宇宙が拡がっている事を、私たちは知っています。

 でも、かつての空は、何やら今の空よりは、もっと平面的に見えていたようにも感じるのです。5月、日本帰国時、群馬の自宅から見上げた初夏の夕焼け空は、今まで見たこともないような、或いは、まるで生まれる前に見た事があったような、不思議な奥行きをたたえていました。一瞬、まさしく宇宙を垣間見たかに感じたのです。

 太古の昔より、宇宙は巡り、時は揺らぎながら、私たちを無言に包んでいます。この地球上では、宇宙の抱擁から外れるものは、何一つありません。

 それを、人は、「神」と名づけたのかもしれません?

 古より、あらゆる場面で、人は「神」と出会ってきたのだと思います。しかし、現代に至っては、日常の場面で「神」を意識するようなことはなかなかありません。人間は、人間の力を頼み、それが「生きる」ことと思うようになってから、久しい時が流れてしまっています。

 かつての、日本の工人たちも、やはり、神を意識するように、それぞれの扱う素材を崇めていたように思います。日本の工芸の素材は、自然から与えられたものばかりです。土、植物、金属・・日本には、豊かな素材が満ち満ちておりました。そして、工人の手になる美しいものたちを、私たち日本人は、生活の中で、愛し、用いてきました。

 竹は、そのような日本の素材の中でも、特に自然の力に負う所大なる素材の一つです。作り手の意のままに自由になるというよりは、その植物としての自然の摂理に従いながら、作り上げていかなければならない特性、作り手にとっては、大変な苦労があります。ひご1本、曲げる限界を越えて、力に任せれば、あっという間に折れてしまうのです。

 祖父琅玕齋は、「竹の声に従う」という事をよく語っていたそうです。制作の難所に到って、思わず「南無阿弥陀仏」と唱えていた、というのは、父がよく話してくれた事ですが、無理からぬことだと感じます。

 祖父は、竹を語るとき、古事記の神々の話を交える事があったようですが、古事記はもとより、多くの記紀、また中国文学にも竹にまつわる話は、多くあるようです。

 中でも、古事記上つ巻「黄泉の国」の段では、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)がその妹(いも)伊邪那美命(いざなみのみこと)に相見んと、黄泉の国に追いかけて行った時、還る事を拒む伊邪那美命は、黄泉醜女(よもつしこめ=死の穢れの擬人化)を遣わして、伊邪那岐命を追い払わせたという場面で、「《伊邪那岐命が》またその右の御角髪(みみづら)に刺せる湯津津間櫛(ゆつつまぐし)を引き闕(か)きて投げ棄(う)つれば、すなわち笋(たかむな)生りき・・・」とあり、笋とは、筍の古名だそうで、湯津津間櫛の湯津は「斎(ゆ)つ」で神聖な櫛という意味だそうです。
 
 また、中つ巻「応神天皇」の段には、「・・すなわちその伊豆志河の河島の一節竹(ひとよだけ)を取りて、八目(やめ)の荒籠(あらこ)を作り、その河の石を取り、盬(しお)に合へてその竹の葉に裹(つつ)みて詛(とこ)はしめて『この竹の葉の青むが如く、盈(み)ち乾(ふ)るが如く、盈ち乾よ。』・・・」とあり、祖父が、かつて昭和5年の新聞紙上で、これをもって、竹細工起源と語っております。

 昭和5年、祖父琅玕齋40歳、竹と格闘、模索の時期です。

 歴史的な出来事をひも解くと、この年3月、「帝都復興祭、関東大震災からの復興成る」とあります。大正12年9月の関東大震災から7年後の年に当たります。東京は整備され、世の中は、いよいよ、文明の発達の波に呑み込まれて行った頃ではないかと思われます。

 その時、制作の日々、祖父は何を考え、何を感じていたのでしょう?

 関東大震災の日、父小玕齋は、4歳でしたが、鉄瓶に水を満たし、家族を連れ上野の山にいち早く逃げた祖父の勇姿をはっきりと覚えていると話しておりました。何か大いなる力に導かれ、不思議と不安は感じなかったといいます。

 もしも、「竹の神」が在るとしたら、竹の神は、祖父を導き、守ったのかもしれない?
そんな事を夢想します・・・

 私たち日本人は、そして地球上の人類は、大いなる力の下で、誰一人外れることなく生かされているのだと思います。それぞれに「神」は宿り、それぞれが守られていると心から感ずることは、なかなかに難しいことではありますが・・・

 今、私たち日本人が直面している困難は、かつて人類が遭遇した多くの困難の中でも例のない大変に厳しい出来事であると私は感じております。

 しかし、眼差しを少しずつ少しずつ、今在る地上から空へ、宇宙へ、時を越え、俯瞰の視点に置いたとするなら、この日本列島も、はたまた地球という、無限の宇宙に数ある星々の中の一つの星の出来事は、永い時空の螺旋運動の中の摂理の一つである事が、垣間見えてくるのかもしれません?

 そして、地の揺れ、海の波に脅かされながら、私たち日本人は、「人間の知の奢り」により到ってしまった人間の手ではもう御し切れない、例えて云うなら「黒い魔の力」を浄化しようとする使命を帯びていると考えるのは、おかしいことでしょうか?

 この地球上で、類い稀なる美しき風土の日本は、今瀕死の病に直面しています。それは、また、地球と人類の抱えている姿の雛形という事も言えるのだと感じます。

 祖父、父の愛して止まなかった「竹の国、日本」。
 
 私は、今、北ドイツの時ならぬ冷たい夏の空気の中、「ほんとうの日本」を思っております。

 中島みゆき「竹の歌」http://www.youtube.com/watch?v=sD3-E8YGbms&feature=related
posted by mari at 07:51 | 2011年